ゲームにおける表現問題に揺れるインディーゲームと恣意的で身勝手な矛先の行方

イツカノヨルのプレイ画面イメージ

 ゲームは娯楽であると同時に、その内容を通じて多くの人に「この作品はどういったものである」という要素を訴えかけるアートとしての側面も存在する。ポップでキャッチーなテイストのゲームに癒される事もあれば、感動の演出とエンディングに咽び泣く事もあるだろう。ホラーであれば身もすくみ、夜中にトイレに行くのも億劫になる。アクション性の高いゲームで達成感や爽快感を得られる事も多々あるだろう。もちろんその表現には年齢や対象の感受性に合わせた深度があるし、結果としてそれはレーティングという形で機能している。

イツカノヨルのプレイ画面イメージ

 しかしこの内容については、昨今SNSを中心に吹き上がる「もらい事故」の様な理不尽さを感じるものである。Indigo Ingotsが開発しているアドベンチャーゲーム「イツカノヨル」が、SNS上で不具合を紹介した際に激しい炎上に巻き込まれたのである。本記事ではその周辺事情も含め、追いかけていってみることにしよう。

バグの報告が槍玉に上がる事に

 本作では、プレイヤーは死刑囚である竜族の少女に対し見守る看守という位置付けだ。ガラス越しで彼女と面会する事が出来るが、少しでも彼女が危害を加えようとした場合はいつでも「処刑するためのボタン」を押すことで、即座に死刑が確定するというシステムとなっている。彼女の話をどこまで聞いて、ボタンを押すかどうか葛藤するという、プレイヤー側にとっての愛着とジレンマをテーマにした作品だ。

 このゲームは元々日本のフリーゲーム投稿サイト「Unityroom」にて開催されたゲームジャム「Unity1Week」で作成されたアドベンチャーゲーム作品である。Unityroom版がフリーゲームとして公開されているが、Steam版では多言語対応やボイスの追加、エンディングや新規曲の拡充といったオマケがついてくるという「完全版」に近いスタイルだ。

 ところがこのゲームは先日展示会で展示された際に、思わぬバグを抱えたまま展示されてしまったのである。その内容とは「処刑を行うボタンを押さないと、話が進行しない」という致命的なものであった。これを制作スタジオであるIndigo IngotsはX上にてポストして報告したのである。

 このポストには「人の心とかないんか?」「バッドエンド不可避」とネタにする様なコメントがリポストされており、ここまでであればただの愉快なバグ報告で終わる話であった。だが事態はここから思わぬ展開を見せる。この投稿が拡散した結果、バグの内容ではなく「少女を処刑するという内容が気に入らない」「女性蔑視の表れではないのか」などという、おおよそゲームとはかけ離れた引用リポストが現れる様になったのである。

類似事例とその不可解な理由の推測

 この現象は、以前発表された「のがふに弁当」作成のゲーム「いちばん美味しいゴミだけ食べさせて」という作品がSNS上で注目を集めた際にも発生している。同作品は、等身大人形「ラブリィドール」として生まれたヒロイン「ミァリ」が、ゴミを食すと知能が上がるという奇妙な特性を備えている点が大きなポイントだ。ゴミを美味しい料理の様に調理して出す主人公だが、食べさせているのはゴミであり、知能が高まっていくにつれミァリはそれをゴミだと認識し始める。通常のご飯を食べさせれば、ご飯ではあるが知能も上がらない。「賢くなる事で世界の汚さを認知していく」というのは、小説「アルジャーノンに花束を」の様な、何とも言えぬ葛藤をプレイヤーへと与えていく事になる。

 同作についても、その作品設定が差別的ではないかというこれまたゲーム内容ではない所でクレームが相次ぐ形となったのである。これに対し制作者サイドは差別的な意図によるものではなく、「望まれない特徴を持って生まれてきた存在が、どの様に生きていくのか」を訴えかけるものであると表明している。

 両作品の事案共に共通しているのが、Steamの掲示板では荒れる様な内容が一切無く、SNSでしか批判意見が観測されていないことだ。そして驚く事に、似たようなテイストや海外産のゲームに対して、この手の内容で批判的にあげつらうポストが見られないのである。

 例えばSteamにてリリースされている「生械娘の解体工房」という作品は、タイトルから分かる通り少女の姿をしたアンドロイドを解体するというド直球のグロテスクな描写が特徴のゴア要素が強い作品だ。少なくともこれに対して批判的な論調の投稿は確認出来ない。プレイヤーが生殺与奪の権利を握る事がそもそも問題であるとするならば、その手のタイトルの火付け役である「Papers, Please」などはまさに当てはまるものである。だがこういった作品に対する批判が見えない上に、グロテスク要素というファクターで見れば日本で発売禁止となった「Dead Space」や「The Callisto Protocol」なども見逃されてしまっている。「Mouthwashing」などは明らかに「批判されるべきタイトル」として出てくるべきではないだろうか。

 つまるところ、批評は日本のサークルが制作したインディーゲームに集まりやすい。それは何故かと言えば、彼らは大手パブリッシャーのタイトルと違い積極的に自作品の進捗報告や宣伝を行う事で、SNS上で話題になる確率を上げているからだろう。それが不幸にも、ゲームの内容を吟味せず当たり散らしたいアカウントに見つかってしまうリスクも同時に抱えてしまったと見える。そしてこの手の無自覚な批判は、最近のSNSでは残念ながらよく見られる事となってしまっているのだ。

 極論SNSの利用を控えるのが賢明であるのかもしれないが、それでは宣伝の場を失うインディーゲーム制作者は非常に多い。ゲームにおける表現が何故そういった物であるのか、立ち返って見られるだけの「大人」の「ゲーマー」が、率先して作品に対する好印象を発信し根も葉もない悪評を押し流すのが、当面の次善の策となるだろうか。

1995年神戸生まれ。ゲーム記事エディター。国内メディアのゲーム・エンタメ記事編集者として5年勤務後、フリーライターとして複数のメディアで活躍。ビデオゲームの専門レビューや特集を中心にお届け。